ザハ・ハディドは30年前に日本で設計していた! | リノベーションスープ

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ザハ・ハディドは30年前に日本で設計していた!

ザハ・ハディド
zaha hadid architects

新国立競技場の破格の建設費問題により、建築に興味がない人にもその名を知られるようになったザハ・ハディド。実は彼女、建築界では”アンビルドの女王”として、ずっと前から注目を浴びていました。

unbuild=実際には建てられなかった、という意味です。なぜならそのプランは釘付けになるくらい斬新だった反面、技術的に建てることがむずかしかったから。日本では、80年代にザハ・ハディドによって設計された『麻布十番のビル』や、『富が谷のビル』がアンビルドとなっています。

ザハ・ハディドはどのような女性なのか? これまでどのような設計をしてきたのか? どんな才能があるの? 彼女のビルドとアンビルドの作品を含めて、これからご紹介したいと思います。

ザハ・ハディドの作品は、倒産してアンビルドに

ザハ・ハディド
東京オペラシティ

ザハ・ハディドは1950年、イラクのバグダットで生まれました。リベラルな父親のもとで育ち、ベイルートの大学で数学を学んでいます。1972年にロンドンの英国建築家協会付属建築学校(AAスクール)で学び、卒業するとレム・コールハースの設計事務所で働きはじめました。その後、1980年に独立します。

ザハ・ハディドが注目されるようになったのは、1983年。香港の山上に建設予定の高級クラブ、ピーク・レジャー・クラブのコンペでした。その審査委員の一人は建築家の磯崎新です。500以上もの案があるなか、当時まったくの無名だったザハ・ハディドの作品が一等に選ばれました。山にいくつもの破片が散らばったようなシュールかつ、大胆なドローイングはまさに衝撃的。

当選後に事業者が破産し、実現はされませんでしたが、このことがザハ・ハディドは世界中の注目を集めるきっかけとなったのです。

ザハ・ハディドの初めてのプロジェクト実現は、日本

ザハ・ハディド

こうして若くして世界から注目されていたザハ・ハディドですが、プロジェクトはどれも途中でボツ。当時は、ザハの作品を実現するほどの技術がなかったのです。ザハが独立して10年ほどは、どのプロジェクトも実現されることがありませんでした。これが、いわゆるザハの”アンビルドの時代”です。

しかし1990年、ザハが精力的に描いたプランがついに日の目を浴びることになります。その舞台は、なんと日本。札幌の『ムーンスーンレストラン』です。残念ながら今はもう存在しません。内装デザインですが、このレストランがザハの初めて実現されたプロジェクトとなったのです。同じ年に開催された大阪の『花の万博』でも、他の建築家たちとともにフォリーを手掛けるなど、この時も(?)日本で活躍しています。

ザハ・ハディド、テクノロジーが進化したのでビルドに

ザハ・ハディド
zaha hadid architects

21世紀に入ると、ついにザハ・ハディドの時代がやってきます。ザハのプロジェクトが実現できるほどテクノロジーが追いつき、コンピューターでの構造解析や3Dモデリングが可能になったからです。もはや誰もザハ・ハディドを”アンビルドの女王”と呼ぶことはできなくなりました。呼ぶと蹴り飛ばされそうなお顔でもあります。

こうして、ヴィトラ社消防所(竣工1993年)を皮切りに、イギリスのリバーサイド・ミュージアム(竣工2004年)、ロンドン・アクアティクス・センター(竣工2005年)などアバンギャルド、時に流動的なデザインで人々を圧巻し続けてきました。奇抜すぎるとも言える建物は周囲の景色を取り込み、その街に流動性を生み出していることも大きな特徴です。

ザハが日本で初の仕事を手掛けてから、30年。今回の東京オリンピックで大きなプロジェクトを抱えて華々しくカムバックする予定でしたが、白紙になってしまいましたね。これが再び、彼女をアンビルドの女王へと押し戻す結果となりました。

リノベーションにもアンビルドがある

ザハ・ハディド

ところで、ザハ・ハディドがアンビルドの女王と呼ばれているのは、彼女のアンビルドの作品がそれだけ注目されたからにほかなりません。当然、どの設計会社にもアンビルドの作品がたくさんあります。施主が気に入らなかったり、コストの面で無理があったり、構造的にむずかしかったり…さまざまな理由で頓挫したプランたち。ちなみに磯崎新は『UNBUILT/反建築史』という本で、1960年以降の自身のアンビルド作品を紹介しています。

デザイナーが住む人の好みや理想、そしてリノベーションの限界を打破すべくつくられたプラン。採用にいたらなかった場合は、アンビルド作品として3Dが手元に残ることになりますが、どれも「実現できたら素晴らしいだろうな」というプランばかりです。たとえ実現されなくても立派な作品の一つと言えるでしょう。

まとめ

すごいでしょう、ザハ・ハディド。新国立競技場問題では、ザハが前衛的すぎるデザインで日本をひっかきまわしたような雰囲気になりましたが、このデザインこそがザハの魅力です。これが彼女のスタイルです。逆に言うとシンプルなデザインだと「あれ、ザハさんどうしちゃったの?手抜きですか?」と言われるに違いない。それを選んだのは日本側なのです。

ともかく、ザハ・ハディドのプロジェクトを実現するとなると、施主側も生半可な気持ちじゃいけないことだけは確かです。

新しい新国立競技場はどのような姿を見せてくれるのでしょうか。

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